PTSDの諸葛孔明

借金もち、留年確定ながら自分の手で道を切り開くためにもがく大学生の人生逆転ストーリーです😄

超絶人見知りの僕がコミュニティの代表を行えている理由

僕は昔から『超』がつくほどの人見知りでした。

 

誰かと会うと何を話せば良いかわらず、冷や汗が出る。

 

話すときに緊張しすぎて、コップの水がこぼれそうになる。

 

など中々に強烈な人見知りだったんです。

 

そんな僕がいつの間にか「他の人から宣伝してほしい」や、「あなたのコンセプトパクりました」などと言われるような200人規模のコミュニティ運営代表になれた理由を語りたいと思います!

 

1.『超絶』人見知りだった過去

 

僕はとにかく人見知りでした。

 

自分から何を話し出せば良いのか全くわからない。

 

人と話すのとにかく嫌い。

 

こんな風に思ってしまうのには理由がありました。

 

僕の過去の話です。

 

僕は北海道の田舎に一人っ子で生まれました。

 

両親が共働きだったために周りで話せる人があまりいる環境ではありませんでした。

 

なので、小学校の時は人に話しかけることは特になく、なぜかわからないけど色んな友達が僕と関わってくれていると言うような感じでした。

 

サッカーと野球と空手を習っていたのですが、サッカーと野球はあまり好きではなく、空手とかの個人種目の方が続きました。

 

中学校の頃も全く同じような感じで、自分から特別話しかけることはなく、ただ友達に困ることはありませんでした。

 

部活も陸上部を選択肢していたので個人種目でした。

 

高校に上がってからなのですが、初めて友達作りに困りました

 

入学して、本当に友達がうまくできずに学校へ行きたくないとまで、親に言ってました。

 

そこでプライドが傷ついたし、めちゃくちゃ周りからの見られ方を気にするようになりました。

 

小中高とこのように過ごしていたので、人とのコミュニケーションを考えてきませんでした。

 

なので、とにかく人見知りのまま大人になっていました。

 

これがまずいと思って人と話すことを意識して生きていかないと廃れた人生を送ることになるかもしれないと思うようになりました。

 

そこで、インターネットで人と話せる場所を調べ始めたのが僕の人生の転機でした。

 

たまたま見つけたのが札幌で友達作りができると言うコミュニティでそこを立ち上げた人にものすごく興味を持ちました。

 

その方とコンタクトを取るために何度も何度もそのコミュニティに足を運び続けて、それを約1年間程度続けました。

 

その結果、コミュニティの運営側に配属させていただき、色んな企画や色んなことを教えていただくことができました。

 

そこから挑戦のスタートです。

 

次へと続く